2011年02月27日
ほめて育てる

今日の連載の中にある尾藤さんのこんな一言
「私の基本はほめて育てること。
選手がどん底に落ちる前に、まず自信をもたせるんです」
とありますが、これに見合う発言を残している教え子はいないのではーー?
練習は厳しく、試合ではどーんと構えて安心感を与えるとか、
ベンチでニコニコしているが、試合後に細かなチェックが入るとかー
いえいえ、きっと悩んでいる選手にいろいろと声をかけたのだと思いますが
他の印象の方が皆さん強いのではと推察します。
でも、あるプログにこんなエピソードがありました。
漫才師のかつみは春夏連覇のメンバー、テレビで高校時代の箕島での野球部の
ことを真剣に語っていたことがあり、
最後の夏、みんなの投票で、ベンチ入りが決まるとき、
自分には、自分で入れた1票だけ。
その夜、自分のポジションのところにあおむけになって、一人で校歌を歌ったという。
その話を聞いた尾藤さんは
「あの子は足の速い子やった。押入れを整理していたら、
昔のあの子の書いた野球ノートが出てきたんで、読み返したんや。
結婚式のときに持っていったんやで」
すべての選手に目配りしていたことが伺われる話ですね。
尾藤さんの高校3年の夏といえば、
春の選抜には海南高が出場したが、2回戦で法政二高に破れています。
夏の和歌山大会の決勝では、新宮高が海南高を破ったものの、
紀和決勝で御所工業高に破れ、2年連続で甲子園出場を奈良勢に
譲ることになったと記録に有ります。
トンさんというニックネームや監督時代の体型から、
チーム1の俊足だったというのはイメージがわきにくいのですが
当時の写真を見れば、不思議はないかもー。
Posted by 一球入魂 at
14:10
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2011年02月26日
ファン多し

尾藤さんのノックにはかなりの迫力があったと、
かつて、東裕司さんは語っていました。
ノックは相当うまい人でした。
キャッチャーフライを真上にピーンと上げるとか、
変化のついた打球を打つとか、相当な腕前でした。
甲子園でも観客の人がウワァーと歓声を上げるぐらい
驚いてましたから。
そんな打撃の腕は、高校時代の練習の後の
自分影を見ながらの素振り300回という地道な努力によって
培われていったのでしょうね。
くまみさんという方のブログに、こんなコメントが有りました。
http://kumami313.blog130.fc2.com/blog-entry-313.html
題字が智弁和歌山の高嶋監督さんが書かれているのです
尾藤さんに対する感謝の気持ちがこもった文字だと感じます。
尾藤さん。
病気との闘い、辛くて大変だと思いますが、
みんな元気でおられる事を楽しみにしています。頑張って下さい
また「ゴン太の心」というブログでは、
http://blog.goo.ne.jp/gonta108k/e/fc26343d86030148fdd87d146621786e
少年時代、ラジオやテレビで見た箕島高校野球部の思い出に続いて、
こんな一分が添えられています。
その尾藤監督も、今、身体中のあちこちを癌に冒され
闘病生活を送っているという。
「尾藤魂」序章と名付けられた2月20日付の記事を読んでいたら
ボロボロと涙がこぼれてきた。
この涙はなんでやろう?
ファンとしてのみならず、指導者としても憧れの目で見てきた
尾藤監督がもうすぐいなくなってしまうかもしれない・・・
そんな思いがよぎったのか。
多くの人が「尾藤魂」に心を動かされている様子がわかります。
さて、明日は吉川監督からどんなアドバイスが有ったのか?
つつきが早く読みたい!!
Posted by 一球入魂 at
11:26
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2011年02月25日
ドラマは続く
「キャッチャーに必要なものは、目配り、気配り、思いやり」と語っていたのは
楽天でキャリアを終えた野村元監督。
氏はまたこんなことも語っています。
「キャッチャーってのは、指1本のサインでも『あそこでもう1回、リードをやり直せれば……』と
試合が終わった後に必ず思うもんなんですよ。特に負け試合では、その思いは強い」
もちろん、当時の尾藤急造捕手には、そんな余裕もなかったでしょう。
けれども、今日の成瀬元監督の言葉から、なぜ尾藤さんを急遽捕手に指名したのかが
わかったような気がします。
さらにドラマの予感が盛り上がる本日の結びの一文、
この頃のことは今まで語られていなかったと思うので、
毎日、新聞を開くのがわくわくします。
さて「ひろくん」さんから、下記のコメントをいただきました。
尾藤さんも毎日このブログをご覧になっていらっしゃると思います。
そこで、このコメント欄を通して、病と闘っている尾藤さんに励ましの声を届けませんか。
皆様、よろしくお願いいたします。
Posted by 一球入魂 at
13:07
│Comments(7)
2011年02月24日
高校時代

和歌山県の高校球史を見ると、尾藤さんが箕島高校へ進学する前年は、
県立和歌山商が甲子園に出場し、1958年の夏の甲子園では海南高校が
準々決勝まで勝ち進んでいます。
県立和歌山商からの誘いに迷いはなかったのかとも思いますね。
また尾藤さんが3年生となった年から、和歌山大会が開会式から
全試合を和歌山放送が実況中継するようになったようです。

野球少年のすべてが憧れ、尾藤さんも三塁手を目指したという長嶋茂雄さんの勇姿。

当時の追っかけはこんな様子だったのですね。ファッションに時代をーーー
ところで本日の「捕手をやれ」というエピソードですが、
東尾修さんも中学で野球部に入ったところ、捕手をやらされたと語っていました。
「下級生は、空いたところをやらされる」とーー。
さて、高校1年の夏、尾藤捕手にどんなドラマがあったのでしょう。
明日が待ち遠しいです。
Posted by 一球入魂 at
13:24
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2011年02月23日
あこがれは長嶋茂雄

昨日の新宮対中京商戦に「ひきょうや、勝負せえや」と
叫んだ尾藤少年が、後年、バント戦法が得意な監督として
名を馳せることになろうとはーーというくだりが印象的でした。
チームプレーの大切さを「バントの心」という言葉で
語っていた尾藤元監督。一方で、熱血漢として語られる側面を
表していて「やっぱり」と思いましたね。

1995年の朝日新聞に掲載されたインタビューで、
巨人の長嶋(茂雄)さんにあこがれて野球を始めたんですが、
僕にとって「甲子園というところは、どこか長嶋さんに似てるなあ」なんて、
ふと思った。永遠のあこがれ、という意味で。
と語っていた尾藤さん。中学時代からの憧れだったのですね。

以前に、尾藤元監督が箕島高校へ入った頃のことを
語っていたインタビューを紹介しましたが、
小学校時代からの仲間が、みんな箕島高校で野球部に入ったんですよ。
新宮高校のOBの方が近くで就職され、仕事が終わってから
練習を見に来てくれました。なんとまあ、厳しかったですね。
でも、甲子園の大会歌なんかも教えてくれましてね。
そんなん聞いたことなかったですから、喜んで歌ってました。
甲子園にはあこがれてましたけど、ものすごく遠い存在でした。
今日の記事を読むと中学時代は、意外に(失礼ですが)スポーツ万能少年
だったということに驚きました。
さて、高校時代にはどんなエピソードが語られるのでしょうか。
楽しみですね。

Posted by 一球入魂 at
10:32
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2011年02月22日
野球に夢中

今日の「尾藤魂」は「ラジオで聞いた野球」
小学生から中学にかけて、尾藤少年が野球に
夢中になっていく様子が綴られています。
当時の子供の遊びの王道ともいえる「野球」。
後に、尾藤監督と共に甲子園初出場を果たした
東尾さんの野球への目覚めは、こんな風でした。
野球を始めたのは御霊小3年生のときだった。
近所で竹を切ってきてバットをつくり、
有田川の河川敷や空き地で三角ベースに夢中になった。
ボールは軟式テニスの軟らかいやつ。
打つと円盤のようにぺっちゃんこになるのが面白かった。
リトルリーグなどない時代。5年生になって上級生の
軟式野球に交ぜてもらうようになったが、
投げるのも走るのもずぬけた存在というわけじゃなかった。
1学年2クラスで100人弱の小学校の同級生が
そっくりそのまま上がった御霊中では迷うことなく野球部に入った。
ところが、いきなり右肩の肉離れで右手を半年も吊ることになった。
ようやく治ったと思ったら捕手をやらされたりした。
部員は1学年7〜8人。下級生は空いたところを押しつけられるのだ。
これはスポニチに平成22年に連載されたコラム
我が道/東尾修からのもの。
尾藤さんも、東尾さんも、幼少時代は竹がバットだった
というのが時代なのか、土地柄なのか、面白いところです。
Posted by 一球入魂 at
15:11
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2011年02月21日
青春編

昨日からスタートした連載の第一回目のタイトルは「トンちゃん」。
尾藤さんの小学校時代のエピソードからはじまりました。
あの頃、尾藤さんの小学校の頃がどんな時代だったかを、
当時の車内吊りポスターで回顧してみようと思います。



で、和歌山に関するものは、こんな感じですね。


懐かしいというか、不思議というか、複雑ですが、
尾藤さんの子供時代は、こんな広告が出ていたんですね。
Posted by 一球入魂 at
13:56
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2011年02月20日
はじまりました
ドドーン1面を使ってはじまりましたね。
題字はなんと、智弁和歌山の高嶋仁監督です。
本日の序章には、高嶋監督のインタビューもあり、
尾藤元監督を「野球の恩師」と呼び、
当時の興味深いエピソードを語っておられます。
今日は序章ということで、尾藤監督のことを知らない人にも
興味がわくような、半生のエピソード集のような感じですが
丹念に取材されているのが伺われ、
これからの連載がますます楽しみになってきました。
この向かって右の方が、朝日新聞御坊支局長の鵜飼真さんです。
先週の和歌山放送「ウインズ平阪のきょうも全力投球 !!」に
出演されたときのものです。
Posted by 一球入魂 at
16:00
│Comments(3)
2011年02月19日
いよいよ明日

いよいよ朝日新聞連載「尾藤魂」スタートが
明日になりましたね。
当ブログにコメントを頂いた
macoさん、ピアノマンさん、破顔一笑さん、小川真由さん、
ジャガイモさん、ミノシマンさん、尾藤スゴスさん、尾藤LOVEさん、
ひろくん、Mさん、ちょうじさん、すけきよさん、あしたのショーさん
こやまっちさん、ラッキーさん、わんわんさん、毎朝無青汁さん、
がきちゃん、ハッシィーさん
ありがとうございます。
皆様のコメントのおかげで、続けてくることが出来ました。
さて、今日の和歌山放送のサタデー・ニュース&スポーツでは、
箕島高校時代に夏の甲子園に出場し、法政大学の4番打者として
2年連続の大学日本一に輝いた後、ドラフトで巨人入りした
島本啓次郎さんが、加百さんのインタビューに応えて
「一年生の中で僕が先にケツバットをして頂いたというのは
今でも僕の宝です。」と語っていました。
また闘病中の尾藤さんに向けて、
「尾藤さんは、僕らの恩師ですから、早く元気になっていただいて
ケツバットでもして気合いを入れて頂けるように成って欲しいし、
グランドに顔を出して箕島野球を盛り上げていって欲しいですね。」とも。
朝日新聞はもとより、TVもラジオも協力して盛り上げている「尾藤魂」。
明日からのスタートが楽しみです。
Posted by 一球入魂 at
22:55
│Comments(0)
2011年02月19日
名将第一位

高校野球NETというサイトの
http://homepage2.nifty.com/h_baseball/index.html
投票! 名将ランキングで924票を集め第一位となった尾藤監督
尾藤監督に投票された方々のコメントをピックアップしてみました。
今見てもグッとくる試合ばかりです
(よし/30代)
何といっても箕島尾藤監督です。70年代も遠くなったけど、
あの頃は箕島の野球が鮮明に記憶に残っています。
強い箕島の復活を期待しています。
(Torsten/40代)
強かったと思う!?
でもいつもハラハラ、ドキドキで目が離せなかった。
尾藤監督の笑顔をまた見たいです。
(はな/40代)
甲子園での数々の名勝負はいつまでも忘れる事はありません。
全盛時は自分の母校(同県内)よりファンであり、
かなりの試合ライブで応援した記憶があります。
(YASU/40代)
尾藤監督は不思議な力を持ってます!!
(奇跡の箕島/40代)
高校野球史上最も強く芸術的なチーム箕島を率いた
尾藤監督を投票させてもらいます。
毎回のように大劇場のような質の高いドラマ性のある野球を展開したのは、
強さのみを求めるのではなく、強さの潜在の根底にある美、
芸術を追求したんでしょう。
このような真に強いチームも監督もこれから先出てこないだろうと思います。
(真の野球好き/40代)
地元選手だけで優勝3回はすばらしすぎる。
しかも春夏勝率(30勝以上)全国1位(勝率8割以上)いうことなし。
私は17歳まで和歌山県に住んでいて野球をしていましたが
尾藤監督の下で野球をしたかった。
(ただし/30代)
尾藤監督が采配を振るった 箕島高校の甲子園での名勝負は
生きているうえでの心の支えです。
(ジョニー/40代)
箕島高校の試合は、どれも相手高校がもう少しで勝てるかも、
と思わせておいて、最後に残念でした。
役者が違います。と思わせる勝ち方だった。
当時はやっていたスポコン漫画と勝ち方が重なりました。
負けた高校も箕島に対してもう一回やったら勝てるかも
と思っていたと思います。
つまり勝ち方を知っていたということですな。
(箕島戻ってきなさいよ/50代)
県立高校箕島の春夏連覇。
奇跡的な試合の連続でした。
尾藤スマイルがその勝利の女神だった。
(箕島復活の春/30代)
県立高校で甲子園優勝4回!!寄せ集め学校ならわかるが・・・
すごい!!の一言です。
(みのきち/30代)
高校野球人気が全盛期を迎えた1970年代後半の常勝軍団箕島高校。
1979年8月 箕島全盛時代。
NHK教育テレビの瞬間視聴率29.4%(箕島対星稜戦)
全ての放送で29年経った現在も破られるていない記録。
箕島対星稜戦が、高校野球を超越したレベルで
国民の注目を集めていたのが伺い知れます
(高校野球全盛時代の名監督/50代)
名勝負ランキングで簑島対星稜に投票するところ
間違って箕島対明徳戦に投票してしまいました。
取り消しできなかったので、こっちにもコメント載せておきます。
当時、私は小学校1年生の7歳。
それでも、この試合のことは鮮明に覚えています。
高校野球史上最高の試合は間違いなくこれです。
あの時のことを思い出すだけで今でも胸が熱くなり、涙が出そうです。
いつの日か、尾藤監督に会ってこの感動を伝えたい!
(箕島最高!/30代)
全盛期の尾藤監督率いる箕島の底力は、凄まじいものがありました。
見ていて負ける気がしませんでした。
(SOUJI/30代)
高校野球史上
県立高校であの野球を完成させたのは、凄い。
他はただの私立。
(カリスマ/30代)
野球が本当に好きというのがにじみ出ている。
現役は退かれましたが今後のご活躍もお祈りしています。
(naoco/30代)
甲子園の勝負師。
丸顔のスポーツ刈りがよかった。
(選抜開幕/30代)
奇跡を起こすのはいつも尾藤監督
島田選手に、ようし思い切っていけと言ったシーンが本当に印象的でした。
また試合のレベルは非常にいつも高いです。
スコアが3対2とか4対3、すなわち極めてロースコアで
エラーが少ないしまった試合が多いのも特徴。
特に選抜大会での明徳戦はレベルが非常に高いと思いました。
守備 攻撃 走塁 監督の采配 どれを取っても凄いの一言です。
敗れた星稜と山下監督 明徳と松田監督も強かった。
(杜の都/30代)
毎回出場の度に味のあるピッチャーが魅力だった。
東尾、メッツ吉井、夜間の2部学生の東、春夏連覇の石井等
正に主役の貫禄を醸し出していましたね。
(コンドーです/40代)
普通の公立高校。
夜間の2部学生の東投手。
NYメッツの吉井投手。
元西武の東尾投手。
春夏連覇の石井投手。
高校野球の全盛期において、普通の県立高校が毎年優勝候補
になるのは、人材の部分で無理があった。
それを可能に出来るのは、尾藤監督のみ。
これは当然。必然。
(箕島/40代)
1977年の選抜優勝投手
箕島高校(公立)定時制3年東投手(昼仕事夜間に通学)
甲子園最後の定時制出身の優勝投手。
東投手の才能を見出し、定時制の生徒ながら、上手く練習させ、
甲子園優勝させる。この指導力は他に皆無。
近年の野球留学全盛の高校野球に物申す。
公立高校でも、定時制の生徒を上手く活用させる。
経営にも通じる尾藤采配。
(定時制の優勝投手/30代)
さすがに皆さん、よく見ておられます。
尾藤監督の魅力を再発見した思いです。
明日から毎日、尾藤さんの物語が読めると思うと
わくわくします。
Posted by 一球入魂 at
13:56
│Comments(0)
2011年02月19日
明日からスタート

「尾藤魂」の連載開始も、いよいよ明日ですね。
いろんな方がこの情報を知ってブログに書かれたりしています。
箕島高校野球部元監督の、
尾藤公さんの半生を描いた自叙伝「尾藤魂」が、
2/20から、
朝日新聞和歌山版で連載されます。
我が家は読売新聞なので、
読めませんが、
和歌山の人間として、
連載開始はうれしいです。
とか、
うちも読売新聞なんですが、連載が始まれば朝日新聞、買いに走ろうと思っています。楽しみです。
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箕島高校を甲子園に導いた名監督ですものね。
和歌山県の方なら、
連載が楽しみでしょうね。
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ご存知の方も多いと思いますが、朝日新聞・和歌山版で2月20日より、
『高校野球のドラマを作り、高校野球と共に歩んだ男
箕島高校元監督 尾藤公の半生をふり返る』が連載開始されます。
第1部 青春編2/20〜
第2部 熱闘編5月〜
第3部 求道編秋〜
楽しみにしたいですね
それと、本日のあっとテレわかで『和歌山が燃えた昭和54年・あの高校野球部が…』
との見出しが新聞テレビ欄に出てます。
私も内容は知らないんですが…
これはもしやそうだよね〜って思ってます。
忘れずに見なきゃ
などなど、最近になって「尾藤魂」のことをネットでも見かけます。
みんなの期待が高まってますね。
Posted by 一球入魂 at
08:18
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2011年02月18日
今夜も楽しみ
写真は昨日の和歌山駅での号外配布の様子です。
朝日新聞販売店の皆様、雨の中ご苦労様でした。
尾藤監督へのメッセージを熱心に読んでいる方もいて
うれしい限りです。
和歌山の宝、尾藤監督への思いが伝わる活動だと思います。
その連載開始まで、あとわずか。
先週の「@あっとテレわかータイムトラベルー」でも
平成21年春に箕島高校18年ぶりの選抜出場に際して
「尾藤さんと一緒に行っているような、尾藤監督がベンチにいて、
自分 がコーチ役としているような感じだった」
と語っていた現箕島高校野球部監督の松下博紀さん。
甲子園で体調を崩したとき、尾藤監督に
「今日から俺の部屋で寝ろ、お前も相当緊張しているから、
俺の部屋でゆったり休め」と大会が終わるまで、
すごく大事にしてもらったというエピソードを披露し
「なんとこの人って、思いやりがあり、子供の気持ちがわかる人なんや」と
て思ったという選抜大会2度目の優勝投手の東裕司さん。
伝説の尾藤スマイルに触れて、
「選手たちには、お前らのびのびよれよと、
ここまで出てきたんやから、普段通りの野球 をやったらええ」と
監督はリラックスしていたと語っていた春夏連覇時の副将中本康幸さん。
これらOBの声と共に、
有名な「ホームラン狙っていいですか」といったという島田選手の
12回裏の同点ホームランや16回裏のファーストフライの落球から
ホームランでまたまた同点という星稜高校との奇跡的なシーンの数々。
そして、
「いろんなことを教えてくれた。努力することも、喜びも悲しみも、
人生 の中で味わういろんなことを教えてくれたのが高校野球でした。」
と昨年のOB戦でのインタビューで、尾藤監督にとって高校野球とは?
という質問に答えていた尾藤監督の姿も。
先週の最後は東尾さんの「尾藤さんと出会わなかったら、
今の僕は ここにいたかどうかわかりません」という
TVCM同様の言葉で終わ っていましたが、
さて今日の番組では、どんなお蔵出しが出てくるのでしょうか。
レポーターの桂枝曾丸さんも、尾藤さんのことに詳しいようなので、
楽しみですね。
Posted by 一球入魂 at
11:01
│Comments(5)
2011年02月17日
本日夕、和歌山駅で
朝日新聞販売店の方から、今日の夕方に
写真のチラシがJR和歌山駅や南海和歌山市駅で
配布されるとの情報をいただきました。
朝日新聞にも折り込まれとのことですが、
同紙を購読されていない方にお知らせしたいと思います。
裏面には、OBの方などからの尾藤監督へのメッセージも
掲載されていますよ。
先週のテレビ和歌山の番組「@あっとテレわかータイムトラベルー」の
最後で桂枝曾丸さんが紹介していた、箕島高校が
甲子園に出場できなくなった時のエピソードをみつけました。
1998年の朝日新聞の「窓」というコラムに書かれていたものだそうです。
高校野球界では全国に知られた和歌山県の箕島高校が、
この夏の和歌山大会に出られなかった。
2年生部員による1年生への暴力事件が起きたのだ。
学校側が事件を知り、自主的に出場辞退を決めたのは、
開会の2日前のことだった。3年生にとっては、寝耳に水の出来事。
決定を聞いて、全員がグラウンドで泣き崩れた。
2年生は申し訳なさそうに校庭の隅にうずくまったままだ。
このとき、尾藤公・前監督が現れた。
春夏連覇を含め、甲子園で4回の優勝を果たした名監督だ。
引退して3年になるが、球児にとってはいまなお、
神様のような存在である。
前監督は本塁の横に立ち、マウンドにいた投手に、
素手でノックをする構えを見せた。
その動きに反応して、投手は見えないボールを捕るしぐさをした。
一瞬、何かがつながった。
それぞれの守備位置で泣き崩れながら土を集めていたほかの部員も、
見えないボールを捕る動きに加わった。
やがて、リーダー格の遊撃手がバットとボールを手に、
「本物のノックをお願いします。」といった。
あらためて全員ノックが始まった。
20分ほど続いただろうか。
終わると、全員が吹っ切れた顔をして、
「ありがとうございました」とあいさつをした。
前監督が「記念に写真を撮ろう」と声をかけた。
3年生がグラウンドに並ぶ。
だれともなく2年生に「お前らも一緒に入れ」と呼びかける。
高校最後の夏に、目標としていた大会に出場できなくなった3年生と、
その責任を感じる2年生が一緒にカメラにおさまった。
「たった1回のノックでわだかまりが解けた。
厳しい練習を共有した仲間だからこそわかりあえるのでしょう。
この気持ちで試練を乗り越えて欲しい」
「神様」はしみじみと話すのである。
これを読んだとき、ちょっと言葉を無くしてしまいました。
TVでもいっていた「アニキ」のような存在であり、
選手たちへの思いやり。野球も、人も、愛した方だと
あらためて思います。
Posted by 一球入魂 at
10:19
│Comments(2)
2011年02月16日
東尾さんとノック
「甲子園優勝校物語」という本があって、
甲子園で優勝した85校の、勝利までの軌跡が描かれています。
この本の巻頭には、箕島高、尾藤公監督と横浜高、渡辺元監督の
対談が掲載されていて、
この中で、両監督は偉大なエースとの出会いによって、
大きく野球人生が変わったと語っています。
箕島の尾藤監督は東尾修さんを、
横浜の渡辺監督は永川英植を挙げています。
両監督は、この二人の投手によって甲子園に導かれ、
輝かしい歴史の第一歩を歩み始めたというのです。
後の活躍を見れば当然のように見えるかもしれませんが、
まだ中学生の頃の素質を見抜いた慧眼が、両監督の名声の
源にあるように思います。
先日のTV番組「@あっとテレわかータイムトラベルー」では、
東尾修さんが出演して、平安高校の受験が終わってから
尾藤監督が家を訪れ、熱心に誘ったというエピーソードを
語っておられましたね。
また尾藤監督は
「ノックにやりがいみたいなものを感じながら、やっていました。
一球、一球気持ちをこめて、この子ならここまでこれるとか、
いろんなことを考えてやります・・・。
守備範囲が広くなって欲しい、精神的にも逞しくなってほしい、
そんな思いを込めながらやる。」
また渡辺監督も
「選手との会話は言葉だけではない。
一本のノックを通じての「対話」は野球教育の不可欠な要素。
子供たちと一緒に成長するという気持ちが大事。」
と、共にノックがどれほど重要であるかを
語っているところが面白いですね。
大監督のお二人が最も基本的な練習「ノック」に
選手への気持ちを込めていたというところは、
ある意味、納得でもあります。
「@あっとテレわか」でも当時のノックの映像が有り
厳しく、しかも愛情あふれる尾藤監督の眼差しを
伺い知ることができました。
今週、18日(金)の特別編では、
どんなシーンが見られるのでしょうか。
こちらも楽しみなところです。
Posted by 一球入魂 at
09:51
│Comments(2)
2011年02月15日
勝利の陰に医学有り

あの球史に残る79年夏の星稜(石川)との延長十八回の戦いを制した陰に、
ある人物の協力があったという話。
当時、箕島は試合の際には栄養補給のためクーラーボックスに
バナナやチョコレート、サンドイッチなどを用意していた。
まだ練習中に水を飲むことは“厳禁”とされていた時代に、
レモンとはちみつ、塩を入れたスペシャルドリンクも飲んでいた。
真夏の3時間50分の熱戦。
「最後は底をついてましたけど、あれのお陰です。
星稜の選手は腹が減ってたと思いますよ」と
尾藤監督が語っていたといいます。
アドバイスをしたのは地元の内科医・楠本博一さん。
和歌山大会のテレビ中継で箕島の投手が汗をかき過ぎるのを見た楠本さんが
試合後、グラウンドに来て「対策はしているのか?」と聞いたのがきっかけとか。
楠本さんから、さまざまな医学的アドバイスを受け、
選手の血液検査や科学的なトレーニングもいち早く導入したそうです。
「楠本先生の話は目からうろこどころか、目玉が落ちそうなくらい。
頭の中から改革してくれた。あのころ勝てたのは先生のおかげ」とも語っていたとか。
精神面でのコントロールや小技を利かせた戦術などが
よく語られる尾藤野球ですが、勝利の陰には、そんな出会いも有ったのですね。
Posted by 一球入魂 at
10:31
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2011年02月14日
意外に冷静だった星稜との熱闘
1979年、箕島高校が春夏連覇を遂げた年、
当時の副将で三塁コーチャーだった中本康幸さんは、
春に優勝した後の、5月の雨の日のミーティングで、
「春の試合の感じからいったら、夏も取れるんじゃないですか」と
尾藤監督の前で言ったといいます。
中本さんは、尾藤監督の指示通り選手が動けば、
普通の野球をすれば勝てるやろうという感じがあった。
そして、伝説の星稜戦では意外にも18回が淡々と流れていったとー。
同じイニングに1点づつ点を取り合うゲームで、
「やってる我々は普段通りの試合をやってるという感じでした。
尾藤監督も普段通り、全然変わらないですし、
エラーが出ても笑ってた。」とも。
延長14回の隠しボールの件では、
「ワンアウト、ランナー3塁。
その時に隠しボールを星陵の三塁手若狭君にやられたんですね。
ちょうど牽制球の間にサードに走ってきて、セーフになった。
そこで我々は尾藤監督のサインをみますよね、
そこでボールの確認を怠った。
初球でスクイズ来るかな?と、次のことを考えますから、
そこで基本を怠った。それは私のミスでしたから、
だから基本が大事なんだということですよね。
監督も「わしもしらんかったわ」と笑ってましたけどね。」
最後も、延長18回裏だから、1点はいればゲームセット。
それでも、ここで入って終わる感じはなく、冷静だったとか。
春の優勝経験があるせいか、普段の試合と替わらなかったとー。
このインタビューは、テレビ和歌山「@あっとテレわか」のひとコマ。
今週も「和歌山タイムトラベル」特別編として
「元箕島高校野球部監督 尾藤公さんの功績(3)」として続くようです。
2月18日(金)18:00~19:25の生放送です。
Posted by 一球入魂 at
18:09
│Comments(0)
2011年02月13日
決勝のスクイズ
昨日の和歌山放送の加百さんの電話インタビューは
1979年の春夏連覇のときの三塁手、
池田高校との決勝戦でスクイズを決めた榎本真治さん。
同点に追いついて、決勝のランナーを残して打順が回ってきたとき、
バッターボックスに入る前にサインを見たらスクイズだったので
相手に悟られないようにと思っていたが
結果的には、外されたので悟られていたかもー。
それでもボール球をピッチャー前に転がせたのは
日々の練習で、バントとか、ヒットエンドランとか、
いろいろやっていたからと、
当時を振り返っておられたようです。
バントを大切にした尾藤さんの練習方法の成果だったのですね。
Posted by 一球入魂 at
15:46
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2011年02月11日
今日・明日のTV&RADIO
今日はテレビ和歌山の「@テレわか」のわかやまタイムトラベルで
尾藤監督の足跡をたどる番組がありますね。
明日は和歌山放送の「ウインズ平阪のきょうも全力投球」という番組に
朝日新聞で「尾藤魂」を連載される鵜飼記者が出演されるそうです。
鵜飼さんは毎週、尾藤さんの元に通ってお話を聞き続けてられるそうなので
最新のいろいろなお話が聞けるかもしれません。
「サタデーニュース&スポーツ」でも尾藤監督ゆかりの方への
インタビューがあるそうです。
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12:50
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2011年02月10日
明日の@テレわか
明日のテレビわかやまの「@あっとテレわか」(午後6時〜)で
尾藤監督の足跡をたどるコーナーがあるようです。
先週の番組では「箕島にこんなにたくさんの人がいたのか」と
かつて尾藤監督がいっていた春夏連覇の箕島駅前の映像が
流れていました。
もちろん、若かりし頃の尾藤監督の姿も。
試合中のベンチでの姿も映っていましたが、
あの「尾藤スマイル」ではなく、厳しい表情でしたね。
明日は「教え子が紡ぐ尾藤元監督の軌跡」と題して
尾藤さんの野球人生を振り返るようです。
若かりしころの尾藤監督には、すごいオーラがあって
選手たちは、監督の前では「はい」「いいえ」位しかいえなかったとか。
しかも当時の尾藤さんは、ベンチに座り込んで腕を組んで、
首を縦に振るか横に振るかだけ。
ピンチになったときベンチを見ると、
尾藤さんの言葉がなくても通じるものがあったといいます。
「おまえらはグランドでやることだけせえ
結果はおそれるな。
結果をおそれたら、
特にピッチャーは生きたボールを投げられへんぞ」と、
という言葉が無言のうちに伝わってきたというのは
選抜で二度目の優秀を遂げたときのエース東裕司さん。
東さんは、先日の東尾修さんの祝賀会のために
尾藤監督の元を訪れてコメントを録音してきたというエピソードも
和歌山放送のサタデーニュース&スポーツで語っていたそうです。
この週末もTVにラジオに尾藤監督ゆかりの人が
いろいろ登場するようなので楽しみですね。
Posted by 一球入魂 at
20:39
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2011年02月09日
初優勝に届いたとき
尾藤さんはかつて「練習で出来ないことを甲子園でやる」という
表現していたことがあったそうです。
昭和45年の甲子園で、レギュラー捕手が直前に骨折、
控え捕手だった中谷選手は、試合経験の浅いキャッチャーだった。
その分、みんなが一丸となって、中谷選手をカバーして
頑張ろうとなった。
一戦一戦勝ち進んでいくものの、どこかで優勝には届かないだろうと
キャプテンの東田和也さんは思っていそうです。
けれども、結果は優勝。箕島高校選抜での初優勝です。
大きな舞台ほど、選手の力を引き出すことができるという
尾藤監督の真価の現れだったともいえますね。
和歌山放送のインタビューからのまた聞きでした。
Posted by 一球入魂 at
16:34
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