2011年01月31日

箕島高校監督の回想

 「箕島、有田が好きなんですね、その人情味と言いますか。
 私が監督をできたのは、この有田だったから。
 わがままな部分も許してくれたのかという感じがしますね。
 ふるさとの人たちに応援してもらい、
 育ててもらったという思いがあります。」

と語る尾藤監督の記事を見つけました。

小学校時代からの仲間が、みんな箕島高校の野球部に入り、
仕事が終わってから練習を見に来てくれていた新宮高校のOBから、
甲子園の大会歌を教わったりしたといいます。
甲子園には憧れていたが、「ものすごく遠い存在」だったとか。
箕島高校の監督になったときも、当初は3年間だけのつもりだったそうです。
続けるきっかけとなったのは、東尾修さんとの出会いだったといいます。

その東尾投手を擁しての初出場のときは
「怖かった、怖いと感じたね。試合前のノックで、空振りしないかと足が震えました。」
と思い出を語っています。
そして初優勝した時は、駅一杯の人を見て、「箕島にこれだけ人がいたのか」という
ほどの歓迎を受け感動したとも。

尾藤監督の回想の中には、時代とその中で大きく成長していった
和歌山の高校野球史を見る思いです。
朝日新聞の連載が楽しみですね。  


Posted by 一球入魂 at 11:25Comments(0)

2011年01月28日

甲子園の心を求めて

尾藤さんがかつて、朝日新聞に書かれたという一文をみつけました。
それは同じ高校野球指導者であった「甲子園の心を求めて」の著者、
佐藤道輔さんの訃報を受けてのもの。
以下は、その転載です。

 活力あふれる野球部を作り上げた佐藤さんの奮闘記だ。
 練習環境の厳しい中で野球を通じて成長する生徒の姿
 が描かれ、高校野球指導者の間でバイブル的な本 となった。
 当時すでに選抜大会で全国優勝していた尾藤さんが感動して
 手紙を書き、練習試合を申し込んだ。
 遠征で互いの自宅をに宿泊し合う間柄になった。
 「酒を酌み交わし、朝まで野球の話をしました。
 多大な影響を受けました」


 佐藤さんは高校時代に肩を痛め、大学でのプレーを断念。
 高校野球の指導者を目指した。
 社会科の教諭となり、都立高校4校で通算32年間、監督を
 務め、すべての高校をシード校に育てた。
 勝利至上主義を嫌い、人間育成に力を注いだ。
 レギュラーも補欠も同じ愛情で接し、同じ練習を課した。
 ベンチ入りは部員の投票で決め、選手に責任感を持たせた。
 78年当時の東大和高校主将は言います。
  「最後まであきらめるな」
  「やればできる」
 という言葉が今でも心に残っています。
 (朝日新聞より) 

この時、尾藤さんは「初めて読んだ時、泣きました。
読み返して、また涙が出ました」とも語っていたとあります。

先日の東尾修氏の殿堂入り祝賀会のメッセージで、
「まさか四十数年前にミカン畑で2人で歩きながら、
甲子園行きたいなっていう夢を語ったおまんが
殿堂入りするなんて……。すごいですね」と称えながらも、
「いっぱいの人々のご恩を受けてんのやということをどうか理解しながら、
これからは地元のために尽くすことを考えていってください」と東尾氏に
語りかけた尾藤さんの胸中には、勝負にこだわりつつも、
選手たちの人間的な成長を見守ってきた人だけの
強い思いのようなものを感じることができますね。  


Posted by 一球入魂 at 18:15Comments(0)

2011年01月27日

バナー広告をはじめました





皆さんは、お気づきになられたでしょうか?
本日から、有志諸氏のご協力でバナー広告が始まりました。
より多くの方々と、尾藤公元箕島高校監督の功績を
語り合っていきたいと思います。

バナーをご覧になって来られた方へ。
このブログは朝日新聞和歌山版に
2月20日から連載される「尾藤魂」を応援するものです。
尾藤元監督についてのいろいろを、
拾い集めていきますので、ぜひ皆さんも
ぜひ投稿いただきたいと思っています。

ということで、今回の連載予告ポスターを再度、掲載しておきます。

  


Posted by 一球入魂 at 12:59Comments(1)

2011年01月26日

東尾さんが和歌山へ






先だっての日曜日、東尾修さんの野球殿堂入りを祝う会があって、
娘さん夫婦共々和歌山へいらしていたんですね。
ニュースでも流れていたというのを昨夜教えたもらいました。

予定されていことだと思いますが、「尾藤魂」の連載に
なんともグッドタイミングと思えてしまいます。
当日は、尾藤監督からのメッセージも流れたそうで、
東尾さんが声を詰まらせる一幕も有ったとか。
下記に詳しく載っているので、ぜひ、ご一読を。
和歌山放送社長ブログ「一語一絵 中島耕治のちょっといい話」
http://wbs-ceo.sblo.jp/article/42802238.html  


Posted by 一球入魂 at 11:11Comments(0)

2011年01月25日

箕島vs星稜戦を回顧する



尾藤監督といえば、高校野球史に残る名試合といわれる
箕島と星陵の延長18回の熱闘。
連載のもうひとつの冊子には、この試合を伝える
翌日の新聞紙面が掲げられていました。

新聞社といえども、よく残っていたものだと思いますが
これを探し出すのも担当者の熱意なのでしょうね。
添えられた短い文章からも、この試合の白熱ぶりが
伝わってきます。
当時、中継を見ていた人は、夕方から帰社時間になっても
喫茶店の席が立てなくなった。
多分、和歌山中の人がTVの前にいたんじゃないかといってました。
朝日放送からNHK教育へチャンネルが移り、
7時56分の試合終了まで
もう終わりかと何度も唇を噛み締めながら
TVに見入っていたといいます。

---------------------------------------------------

君らの熱闘の翌日から
甲子園は秋になった
東南の海を駈ける台風が
思わず走りをとめてのぞくほど
試合は熱く長く激しく
翌日の空は
熱気をはらんでいるものの高く澄み
もう秋だった

それにしても君らが示したあの力は
一体何だったのだろうか

奇跡とよぶのはたやすい
だが
奇跡は一度だから奇跡であって
二度起きればこれは奇跡ではない

言葉がない
言葉で示そうとするのがもどかしい
一瞬でいいつくす言葉の奇跡が
ぼくにはほしい

勝利は何度も背を向けた
背を向けた勝利を振り向かせた快音が
一度 そして 二度起きたのだ

誰が予測できるだろう
祈ることはあっても
願うことはあっても
予測出来るはずがない
ましてや 確信など誰にあろうか

熱く長い夏の夜
人々の胸に不可能がないことを教え
君らは勝った
球史にのこる名試合は
箕島・星稜
時は昭和五十四年八月十六日
君らの熱闘の翌日から
甲子園は秋になった

----------------------------------------------------

これは箕島と星陵の試合に感動した作詞家の故・阿久悠さんが
翌日のスポーツ紙に寄せた「最高試合」という詩だということです。
ブログから見つけたものなので、原文通りかわかりませんが、
感動が伝わってくる素晴らしい詩だと思います。  


Posted by 一球入魂 at 18:42Comments(0)

2011年01月24日

尾藤監督のノックと東尾投手





これは朝日新聞さんからいただいた連載予告のポスター。

 「高校野球の監督は、毎日練習でノックするでしょ。
 それによって選手と対話しているんです。
 いちいち、あれこれ言わない。きわどいところに打って
 「もっと頑張れ」と励ましたり、「よう捕れた」と褒めたり。
 昔は外野に直径一メートルの円を書いて、そこを狙えば、
 ほぼ百パーセント打てた。ここ数年は、ゴムのチューブを
 腰に巻きつけたりして痛みをこらえていたのですが、
 今年なんか、百本のうち、満足いくのは二、三本ですよ。
 これでは、伸びる可能性のある選手を十分に鍛えられない。
 むろん、対話もできない。選手に迷惑をかけるわけで、
 「もう、やめないかんな」と決心した。和歌山大会の前でした。」

これはweb新書「のびのび野球 尾藤公の世界」の監督退任の際の
インタビューに答えた一節。
「尾藤魂」の告知ポスターにある写真は、若かりし頃の、
きっとノックをしている写真ではないかと思う。

この本の書き出しは、こんな感じ。
最後の夏 甲子園は長嶋さんに似てる
 和歌山県立箕島高校野球部の尾藤公監督(五二)が、
この夏、勇退した。ミカンと漁業の地方都市で、
母校の野球部を率いて通算二十九年。
甲子園では、春夏連覇を含めて四度優勝した。
ピンチにも絶やさぬ「尾藤スマイル」が「のびのび野球」を生み、
高校野球の歴史に一時代を築いた名物監督だった。
※1995年10月2日〜10月5日の朝日新聞和歌山県版に掲載された記事を、
 当時の内容のまま再録。

「のびのび野球 尾藤公の世界 箕島元監督、甲子園は永遠のあこがれ」
和歌山県立箕島高校野球部の元監督の尾藤公さん。ミカンと漁業の地方都市で、
母校の野球部を率いて通算二十九年。甲子園では、春夏連覇を含めて四度優勝した。
ピンチにも絶やさぬ「尾藤スマイル」が「のびのび野球」を生み、
高校野球の歴史に一時代を築いた名物監督だった。
この本は、下記で読めるようです。
http://webshinsho.mainichi.jp/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2010091300038.html

一方、このポスターでは最近の姿と思われる東尾修さんが思い出を語っている。
「あのとき、尾藤監督に出会わなかったら、今の自分はなかったかもー」
そんな運命の出会いから生まれた箕島高校の甲子園初出場。

そういえば、新春のTV番組に石田純一・理子夫婦と出ていたとき、
さかんに殿堂入りを強調する東尾さんに対して、
「私にとってのパパは、家で見る姿がすべて」と答える
理子さんとのやり取りを見ていると、
甲子園のエースから、プロ野球で華々しい活躍を遂げて
西武の監督まで務めた東尾さんも、
娘の前では一介のオヤジでしかないなと実感した次第。

ひょっとすると娘と共にCMに登場する東尾さんも、
尾藤監督の目には、可能性のある中学生だった
東尾少年の面影の方が、
強く焼き付いているのかもしれません。  


Posted by 一球入魂 at 19:12Comments(0)

2011年01月23日

ちょっといい話

和歌山放送社長のブログ「一語一絵 中島耕治のちょっといい話」の
2009年02月14日分に尾藤公さんが
講演されたときのことが載っています。

 「甲子園に行くには名門の2,3倍は練習しなければ追いつかないと、
 厳しく激しく練習して行き過ぎたこともあったと思うが、
 ある意味で生徒に恋、恋愛をしていたようにも思える。
 子どもたちが何を考えているのか知りたかったし、
 自分の気持ち、何を考えているかを知って欲しい、
 という気持ちでいっぱいだった。」

これは23歳で母校の硬式野球部の監督になった当時を振り返ってのお話。
後年、甲子園のベンチでの笑顔から「尾藤スマイル」が
有名になった尾藤さんですが、練習は厳しく、
しかも監督になった当初は
かなりのスパルタだったとどこかで読んだ記憶があります。

また、野球は、ボールがゴールに入って得点する
サッカーやバレーボールなどとは違って、
選手が塁を進みホームに帰らないと得点が入らない競技だから、
バンドが重要な役割りを果たすからと、こんなお話をされたようです。

 「仲間を次の塁に進め、チームの勝利のために
 自分の打ちたいという気持ちを抑え、犠牲バンドをする、
 そうした「フォー・ザ・チーム」の精神が必要だ。
 この野球の「バントの心」は「おかげさんで」「感謝」につながり、
 ひいては「やがて家族や地域や、国や世界、地球のために
 何か役に立ちたい、貢献したいという心に
 つながっていくことを学んだ」とも語っていたのこと。

そんなことから、引退後の尾藤監督は高校野球指導者の道を歩まれたのかもしれません。

この和歌山放送が制作した尾藤監督の番組は、
本民間放送連盟賞ラジオ報道番組部門優秀賞を受賞しています。
下記で、この放送が聞けますね。

「らじこんー野球にかけた人生、尾藤公さん」

甲子園で春夏連覇の偉業を成し遂げるなど、
高校野球の監督として活躍した
和歌山県立箕島高校の元監督・尾藤公さんの
半世紀以上の野球にかけた人生を振り返るとともに、
これからの野球の在り方について尾藤さんの言葉を通して紹介する。
平成21年日本民間放送連盟賞ラジオ報道番組部門優秀賞受賞作品。
http://www.radi-con.com/program/21  


Posted by 一球入魂 at 14:18Comments(0)

2011年01月22日

化粧の濃いマネージャー

 連載「尾藤魂」の予告冊子の表紙を飾っていた
昨年の「星稜高校VS箕島高校OB戦」について調べてみたら
夫婦漫才コンビ、かつみ・さゆりが甲子園球場に現れたという
記事を見つけました。
http://andoh.iza.ne.jp/blog/entry/1814722/
かつみさんは箕島の野球部OBで、3年間補欠。
箕島・星稜戦もアルプススタンドで見ていたたという経験の持ち主。
さゆりさんも高校野球のマネージャーになるのが夢だったとかで、
当日は箕島高校の現役マネージャーから制服を借りて
臨時マネージャーとしてベンチ入りしたとか。
そして、当日現れた尾藤監督からは
「マネージャー、ちょっと化粧、濃い」とツッコミが入ったという
エピソードを記したブログもありました。

ここには当日の「さゆり」さんと尾藤監督の写真も掲載されています。
ちょっと痛々しい姿ではありますがーー。
http://www.sanspo.com/high-baseball/news/100924/hga1009241232000-n1.htm  


Posted by 一球入魂 at 20:05Comments(0)

2011年01月21日

朝日新聞からうれしいお知らせが届きました

今日、朝日新聞から「尾藤魂」という連載予告の冊子が届きました。
今、ガンとの闘病生活を送っておられる
元箕島高校の尾藤監督の半生をたどる連載のようです。

さっそく、朝日新聞販売店のF氏に電話してみたら、
朝日の記者の方が闘病中の尾藤さんの元に通って
コツコツと取材をしているので、いい連載のなるのではとのこと。
今の人は知らないかもしれないけれど、
和歌山の高校野球を全国にした郷土の誇りだよねーー
と語り合っているうちに、私も応援したい気持ちが募ってきました。

そこで、こんなブログを作ってみました。
私的に尾藤監督にまつわるいろいろを拾い集めてみようと思います。
尾藤監督のことを思い出したら、どんどんメッセージを寄せて下さい。





朝日新聞から届いたパンフレット。昨年の甲子園での尾藤監督が表紙。
尾藤スマイルといわれた笑顔は健在のようですね。  


Posted by 一球入魂 at 18:10Comments(1)