2011年09月14日

その後の、尾藤監督

よもやの災害に、身辺が慌ただしかったこの2週間ですが、
この間も、尾藤魂「求道編」は快調に回を重ねています。

対星稜戦後といえば、いろいろと名勝負も多く語り継がれていますが
なかでも昭和55年の第62回選手権の準々決勝での横浜戦は
「尾藤さんの人柄が選手の力となって、じわじわと追い込まれてくる感じ」と
当時の渡辺元智監督が振り返るほど、かつての箕島の魅力を感じる一戦。

春夏連覇の翌年は、選抜出場をあと1勝というところで逃し、
迎えた夏に挑む気持ちも強かったでしょう。
春の選抜優勝の高知商業に勝ってベスト8に進出、
対横浜線では、結局、追い上げ実らず2−3で敗れたものの、
初回から3点をとられ、中盤からじりじりと反撃していく様子は、
「ひたっ、ひたっ」と忍び寄るようで、
実に迫力があったといわれています。

引退後の歩みや甲子園塾のエピソードなど、
いままであまり語られることのなかった「求道編」の記事は、
多くの方々の思い出とは重ならないかもしれませんが、
極めて興味深く読ませていただいています。

一般にも募集されている尾藤監督の思い出、
どんなエピソードが集まるのか楽しみで
す。  


Posted by 一球入魂 at 15:36Comments(1)

2011年09月02日

求道編はじまる

いよいよ朝日新聞の連載「尾藤魂」第3部が
スタートしました。

取材途中で尾藤さんがなくなったため、
79年の春夏連覇以降のお話が聞けていないと
31日の記事にありましたが、改めて残念でもあり、
やはり早すぎたとの思いがこみ上げてきます。
記者の方も残念だったでしょうね。

とはいえ、尾藤さんゆかりの方々への取材からは
ご本人のお話とはまた違った一面が見えてくるのでは
楽しみでもあります。

2日の記事に描かれた星稜戦の後日談では、
私が拾ったエピソードにはこんな話もあります。

三塁手の加藤直樹さんは、試合の翌朝
金沢に帰るバスでは最後部に座り
「ファウルフライのことを話題にされたら、
 無理にでも照れ笑いをしなくちゃ」と
思っていたいいいます。
「腫れ物に触るように扱われ、
 お前のせいで負けたって言ってくれた方が
 よほど楽だった」
夏休み中も仲間の家を泊まり歩き、野球を忘れたかった
と後に語っていた加藤さん。

試合の翌朝、肩を落として一言もしゃべらない加藤さんに、
「この経験を乗り切って器の大きな人間になろうな」と
語りかけたという山下監督は、再会した94年のOB戦での
尾藤さんの一打に
「尾藤さんがわざとファーストフライを
 打ち上げてくれた」と
今でも信じているといいます。

さて、次はどんなエピソードが読めるのか
毎朝が楽しみになってきました。  


Posted by 一球入魂 at 11:31Comments(3)