2011年01月24日
尾藤監督のノックと東尾投手

これは朝日新聞さんからいただいた連載予告のポスター。
「高校野球の監督は、毎日練習でノックするでしょ。
それによって選手と対話しているんです。
いちいち、あれこれ言わない。きわどいところに打って
「もっと頑張れ」と励ましたり、「よう捕れた」と褒めたり。
昔は外野に直径一メートルの円を書いて、そこを狙えば、
ほぼ百パーセント打てた。ここ数年は、ゴムのチューブを
腰に巻きつけたりして痛みをこらえていたのですが、
今年なんか、百本のうち、満足いくのは二、三本ですよ。
これでは、伸びる可能性のある選手を十分に鍛えられない。
むろん、対話もできない。選手に迷惑をかけるわけで、
「もう、やめないかんな」と決心した。和歌山大会の前でした。」
これはweb新書「のびのび野球 尾藤公の世界」の監督退任の際の
インタビューに答えた一節。
「尾藤魂」の告知ポスターにある写真は、若かりし頃の、
きっとノックをしている写真ではないかと思う。
この本の書き出しは、こんな感じ。
最後の夏 甲子園は長嶋さんに似てる
和歌山県立箕島高校野球部の尾藤公監督(五二)が、
この夏、勇退した。ミカンと漁業の地方都市で、
母校の野球部を率いて通算二十九年。
甲子園では、春夏連覇を含めて四度優勝した。
ピンチにも絶やさぬ「尾藤スマイル」が「のびのび野球」を生み、
高校野球の歴史に一時代を築いた名物監督だった。
※1995年10月2日〜10月5日の朝日新聞和歌山県版に掲載された記事を、
当時の内容のまま再録。
「のびのび野球 尾藤公の世界 箕島元監督、甲子園は永遠のあこがれ」
和歌山県立箕島高校野球部の元監督の尾藤公さん。ミカンと漁業の地方都市で、
母校の野球部を率いて通算二十九年。甲子園では、春夏連覇を含めて四度優勝した。
ピンチにも絶やさぬ「尾藤スマイル」が「のびのび野球」を生み、
高校野球の歴史に一時代を築いた名物監督だった。
この本は、下記で読めるようです。
http://webshinsho.mainichi.jp/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2010091300038.html
一方、このポスターでは最近の姿と思われる東尾修さんが思い出を語っている。
「あのとき、尾藤監督に出会わなかったら、今の自分はなかったかもー」
そんな運命の出会いから生まれた箕島高校の甲子園初出場。
そういえば、新春のTV番組に石田純一・理子夫婦と出ていたとき、
さかんに殿堂入りを強調する東尾さんに対して、
「私にとってのパパは、家で見る姿がすべて」と答える
理子さんとのやり取りを見ていると、
甲子園のエースから、プロ野球で華々しい活躍を遂げて
西武の監督まで務めた東尾さんも、
娘の前では一介のオヤジでしかないなと実感した次第。
ひょっとすると娘と共にCMに登場する東尾さんも、
尾藤監督の目には、可能性のある中学生だった
東尾少年の面影の方が、
強く焼き付いているのかもしれません。
Posted by 一球入魂 at
19:12
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