2011年01月31日
箕島高校監督の回想
「箕島、有田が好きなんですね、その人情味と言いますか。
私が監督をできたのは、この有田だったから。
わがままな部分も許してくれたのかという感じがしますね。
ふるさとの人たちに応援してもらい、
育ててもらったという思いがあります。」
と語る尾藤監督の記事を見つけました。
小学校時代からの仲間が、みんな箕島高校の野球部に入り、
仕事が終わってから練習を見に来てくれていた新宮高校のOBから、
甲子園の大会歌を教わったりしたといいます。
甲子園には憧れていたが、「ものすごく遠い存在」だったとか。
箕島高校の監督になったときも、当初は3年間だけのつもりだったそうです。
続けるきっかけとなったのは、東尾修さんとの出会いだったといいます。
その東尾投手を擁しての初出場のときは
「怖かった、怖いと感じたね。試合前のノックで、空振りしないかと足が震えました。」
と思い出を語っています。
そして初優勝した時は、駅一杯の人を見て、「箕島にこれだけ人がいたのか」という
ほどの歓迎を受け感動したとも。
尾藤監督の回想の中には、時代とその中で大きく成長していった
和歌山の高校野球史を見る思いです。
朝日新聞の連載が楽しみですね。
私が監督をできたのは、この有田だったから。
わがままな部分も許してくれたのかという感じがしますね。
ふるさとの人たちに応援してもらい、
育ててもらったという思いがあります。」
と語る尾藤監督の記事を見つけました。
小学校時代からの仲間が、みんな箕島高校の野球部に入り、
仕事が終わってから練習を見に来てくれていた新宮高校のOBから、
甲子園の大会歌を教わったりしたといいます。
甲子園には憧れていたが、「ものすごく遠い存在」だったとか。
箕島高校の監督になったときも、当初は3年間だけのつもりだったそうです。
続けるきっかけとなったのは、東尾修さんとの出会いだったといいます。
その東尾投手を擁しての初出場のときは
「怖かった、怖いと感じたね。試合前のノックで、空振りしないかと足が震えました。」
と思い出を語っています。
そして初優勝した時は、駅一杯の人を見て、「箕島にこれだけ人がいたのか」という
ほどの歓迎を受け感動したとも。
尾藤監督の回想の中には、時代とその中で大きく成長していった
和歌山の高校野球史を見る思いです。
朝日新聞の連載が楽しみですね。
Posted by 一球入魂 at 11:25│Comments(0)