2011年05月31日

信任投票の謎

尾藤さんが監督を退くきっかけになった
後援会との関係悪化とは、いったい何だったのか?
そんなことが気になって調べてみるとーー

夏の県大会に敗退した後、後援会が監督交代に動いたとか、
甲子園での初戦敗退が続き、漁師町だった箕島の人々から、
クビにせよという声が出たとか、
いろいろな噂がありました。

尾藤さんは当時のことをこう振り返っています。

 1966年、23歳で母校の硬式野球部の監督になった。
 甲子園に行くには名門の2~3倍は
 練習しなければ追いつかないと、
 厳しく激しく練習して行き過ぎたこともあったと思うが、
 ある意味で生徒に恋し、恋愛をしていたようにも思える。
 子どもたちが何を考えているのか知りたかったし、
 自分の気持ち、何を考えているかも知って欲しい、
 という気持ちでいっぱいだった。

熱血漢の尾藤さんらしい回想ですが、
練習は相当スパルタだったのでしょうね。

さて、信任投票の中で、ただ一票の不信任。
この話には後日談がありますが、それは連載で登場するかもーー。
なので、次回に。



Posted by 一球入魂 at 16:53│Comments(0)
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