2011年09月14日

その後の、尾藤監督

よもやの災害に、身辺が慌ただしかったこの2週間ですが、
この間も、尾藤魂「求道編」は快調に回を重ねています。

対星稜戦後といえば、いろいろと名勝負も多く語り継がれていますが
なかでも昭和55年の第62回選手権の準々決勝での横浜戦は
「尾藤さんの人柄が選手の力となって、じわじわと追い込まれてくる感じ」と
当時の渡辺元智監督が振り返るほど、かつての箕島の魅力を感じる一戦。

春夏連覇の翌年は、選抜出場をあと1勝というところで逃し、
迎えた夏に挑む気持ちも強かったでしょう。
春の選抜優勝の高知商業に勝ってベスト8に進出、
対横浜線では、結局、追い上げ実らず2−3で敗れたものの、
初回から3点をとられ、中盤からじりじりと反撃していく様子は、
「ひたっ、ひたっ」と忍び寄るようで、
実に迫力があったといわれています。

引退後の歩みや甲子園塾のエピソードなど、
いままであまり語られることのなかった「求道編」の記事は、
多くの方々の思い出とは重ならないかもしれませんが、
極めて興味深く読ませていただいています。

一般にも募集されている尾藤監督の思い出、
どんなエピソードが集まるのか楽しみで
す。  


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2011年09月02日

求道編はじまる

いよいよ朝日新聞の連載「尾藤魂」第3部が
スタートしました。

取材途中で尾藤さんがなくなったため、
79年の春夏連覇以降のお話が聞けていないと
31日の記事にありましたが、改めて残念でもあり、
やはり早すぎたとの思いがこみ上げてきます。
記者の方も残念だったでしょうね。

とはいえ、尾藤さんゆかりの方々への取材からは
ご本人のお話とはまた違った一面が見えてくるのでは
楽しみでもあります。

2日の記事に描かれた星稜戦の後日談では、
私が拾ったエピソードにはこんな話もあります。

三塁手の加藤直樹さんは、試合の翌朝
金沢に帰るバスでは最後部に座り
「ファウルフライのことを話題にされたら、
 無理にでも照れ笑いをしなくちゃ」と
思っていたいいいます。
「腫れ物に触るように扱われ、
 お前のせいで負けたって言ってくれた方が
 よほど楽だった」
夏休み中も仲間の家を泊まり歩き、野球を忘れたかった
と後に語っていた加藤さん。

試合の翌朝、肩を落として一言もしゃべらない加藤さんに、
「この経験を乗り切って器の大きな人間になろうな」と
語りかけたという山下監督は、再会した94年のOB戦での
尾藤さんの一打に
「尾藤さんがわざとファーストフライを
 打ち上げてくれた」と
今でも信じているといいます。

さて、次はどんなエピソードが読めるのか
毎朝が楽しみになってきました。  


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2011年08月03日

尾藤スマイルがNHKで

「尾藤スマイルが教えてくれた」というTV番組がNHKで放送予定だそうです。

日時は、8月6日(土)23:05-23:30
NHK総合TV。
「尾藤スマイルが教えてくれた~元箕島高校野球部監督 尾藤公の人柄力~」
尾藤さんの人づくりの魅力を、生前の尾藤さんの映像や東尾修さんなど、
教え子たちの証言を交えながら紹介されるというもの。

楽しみですね。  


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2011年06月30日

奇跡はつづく

伝説の試合となった星陵との延長戦。
16回に2アウトランナー無しから
同点ホームランを放った森川選手は
それまで公式戦はおろか、練習試合でも
ホームランを打った経験がなかったそうですから
まさに奇跡の連続だったわけですね。

そして迎えた延長18回。
この試合を当時の三塁コーチャー中本康幸さんは
こう振り返っています。

  延長18回の裏ですから、入ったらゲームセットですけど、
  これで入って終わるという感じはなかったですね。
  勝負強い上野がショートオーバーに
  持っていったんですけど、
  いきりたつとかもなく、冷静でした。
  春も(優勝を)経験させてもらってますし、
  普段の試合と変わらなかったです。
  三塁コーチャーというのは、一点が入る入らないという
  判断になるのですが、だいたい自分のカンですよね。
  ランナーの足、打球の方向、それによって「腕を」まわします。

そして、二塁走者だった辻内選手は三塁ベースを蹴り、
ヘッドスライディングで勝利を決めた。

何度も万事休すともいえるシーンを迎えながらも、
あきらめることなく、最後は「神」を味方にしたかのような
奇跡的な勝利を手にした尾藤・箕島。
その先には春夏連覇の栄光が待っていました。

  決勝の池田戦では相手エースの一塁けん制のときのクセを
  1番打者の嶋田宗彦が見破ったことが、
  勝利の原動力になった

という尾藤さんは、勝因は監督の采配ではなく、
選手の力だったと語っていたといいます。
池田戦で決勝のスクイズを決めた榎本選手は
後に回想してこう語っています

  バッターボックスに入る前にサインを見たら
  スクイズでした。
  はずされたので、見破られていたんでしょうね。
  日々の練習で、バントとか、ヒットエンドランとか
  攻撃の積極性とか、精神面も
  いろいろ叩き込まれていたのが役立ったかもーー。

現在、少年野球で後進の指導に当たっている榎本さんは
  尾藤監督から教えていただいたことを、
  次の世代の子供たちに伝えていきたい
とも語っていました。

「熱闘編」が今日で終わった「尾藤魂」。
次のシーズンでは、何を学ぶことができるのかーー
楽しみですね。
 
熱闘編は今日で終わりましたが、この後の箕島高校の戦いと
尾藤さんの歩みは  


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2011年06月28日

悲運のつまずき

「星稜、悲運のつまずき」
今日の「尾藤魂」に語られた有名な落球事件。
翌日の新聞にはこんな見出しが躍ったといいます。

尾藤さんはこのときのことをこう語っています。

  「二塁打だ」と思った瞬間、久保元司右翼手が
  ちゃんとポジション取りしていて、
  最少失点に抑えました。
  彼が自分で考えたファインプレーでした。
  その裏、またも2死。
  「うちの子らも星稜の子らもすごい。
   お互いにありったけのもん出してる」と
  ただただ感心していました。
  星稜の加藤選手の「落球」も、実は「落球」じゃなかった。
  あの年に導入された人工芝に足を取られ、
  「転倒」したんです。
  当時は約1センチの段差があり、
  その夏以降段差はなくなりました。

一塁手の加藤直樹さんは、ベンチ前に上がったファウルフライは
簡単に捕れそうだったが、バランスを崩し、
ボールが一瞬視界から消えたといいます。
その時のことを後にこう語っています。

 おかしなことに、その時『このまま横になっていたいな』と思った

捕っていれば勝っていたと気付いたのは、ベンチに戻ってからだったとーー。
また、当時ライトを守っていた元中日ドラゴンズの音重鎮さんは、

  あの時は疲れきっていて、
  早く試合が終わらないかということしか考えていなかった

と、振り返っています。
加藤さんが転んだ瞬間も、
「また試合が長引くのか」という思いしかなかったとも。

どちらの選手たちも体力は限界、ほぼ気力だけで
戦っていたことが伺われます。
そんな過酷な延長戦。
まだまだ続くドラマの裏側を、早く読みたいですね。  


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2011年06月27日

星稜戦ーー熱闘の裏に

白熱の星稜戦が続く「尾藤魂」。
私事で更新を怠っている間も、
紙面では、息詰る一進一退が繰り広げられています。
先週、おたふく風邪で試合に臨んだ上野山選手は、
後に当時をこう語っていました。

  2日前、熱が出て食欲がなかった。
  サンドイッチを一口つまんだだけで、食事も取れず、気が焦った。
  第1、2打席でヒットを打ったが、エラーをするまで
  記憶が断片的にしかない。
  延長十四回ぐらいに右の鼻から鼻血が出て、
  ユニホームに血が付いたのを土を付けてごまかした。
  そのうち左の鼻からも血が出てきた。
  今思うのは、それだけ体調が悪くても、
  試合に出ないということは頭になかった。

なんと壮絶な戦いぶり。
これが尾藤さんをして「負けないチーム」といわせた
所以なのでしょうね。

土曜日の「尾藤魂」に描かれた「隠し球」については、
当時の三塁コーチャーだった中本康幸さんは
こんな風に語っています。

  星陵戦の延長14回ワンアウト、ランナー3塁。
  ランナーは森川でした。
  その時に隠しボールを星陵の三塁手若狭君にやられたんですね。
  ちょうど牽制球の間にサードに走ってきて、セーフになった。
  顔中泥まみれで、審判もタオルを使うかと聞いてきた。
  そこでボールの確認を怠った。

  我々は尾藤監督のサインをみますよね、
  初球でスクイズ来るかなと、
  次のことを考えますからーー。
  そこで基本を怠った。それは私のミスでしたから、
  だから基本が大事なんだということですよね。
  後で監督も「わしもしらんかったわ」と笑ってましたけどね。

さて今週は大団円へ向かって、熱闘は続きますなーー。

尚、朝日新聞では尾藤公さんの思い出と「尾藤魂」の感想を
募集しています。
8月からの第3部で掲載されるかもしれないとのこと。
ぜひ、参加したいですね。
和歌山版紙面に詳細が掲載されています。  


Posted by 一球入魂 at 19:15Comments(2)

2011年06月17日

延長に強い箕島

 箕島高校は甲子園の延長戦で負けたことがない
というデータがあるそうです。
 今日の「尾藤魂」で描かれた準決勝のPL戦は、
まさにそのなかでもハイライトの一つですね。

 もちろんその中でも白眉となるのは夏の星稜戦
でしょう。
 この年、春は4試合のうち準決勝と決勝、
夏は5試合のうち3回戦の星稜戦と準決勝、決勝が
1点差ゲームでした。
 さぞや尾藤さんの胸中は、ハラハラドキドキの
連続ではなかったかと思われますが、意外にも
こんな談話が残されています。

  監督によっては1球ずつキャッチャーにサインを
  出す人もいるみたいですけど、僕はそういうこと
  を一切しません。
  守りに行ったらすぐベンチ裏にタバコを吸いに
  行ってましたからーー。
  『ああ、ランナーを出したな』とか『得点を入れられ
   たんかなあ』とか、
  歓声を聞きながらタバコを吸ってましたね」

さて、春の決勝。PLに続いて浪商と、関西対決となった79年。
準決勝までが12打数2安打と不振だった四番打者北野選手は
いかに戦ったのか。
明日の展開が待ち遠しい「尾藤魂」です。  


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2011年06月16日

負けないチーム

のちに伝説を生むこととなる79年の尾藤・箕島。
選抜が描かれた今日の「尾藤魂」はわくわくしますね。

  79年の春夏連覇のチームは強いとは思わなかった。
  ただ、試合になると不思議と負けないチームだった。

と尾藤さんはこの年のチームについて語っていたといいます。
当時のキャプテン上野山善久さんはこう回想しています。

  練習時間は長く、家に帰ってからも日課があった。
  丸めた新聞紙を毎日200球打った。
  腕だけで縄登りをしたり、夜にグラウンドでタイヤ打ちをして、
  近所からクレームを言われている選手もいた。
  同級生17人の中で1人だけ最後までベンチ入りできなかった選手は
  監督に「どうやったら守備が上達するか」と聞き、
  「体が硬い」と言われてその日から風呂上がりに柔軟を始めた。
  そして開脚して胸が床につくまでになった。
  全員が箕島の一員という意識で上を目指していたから
  負けなかったのだと思う。

また石井投手はチームの特色を聞かれたとき

 「点を取られないと、取ってくれないんですよ。」

と語っていたともーー。
粘りの箕島野球が開花した79年。
春も佳境に入りました。  


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2011年06月15日

「一期一会一球」に合掌

 尾藤さんの墓石の開眼供養を伝える
今日の朝日新聞和歌山版。
墓石には「一期一会一球」が刻まれ、
硬式ボールのモニュメントもあり、
甲子園の土が敷かれた上に納骨されたと
読んで感慨深いものがあります。

 今日の「尾藤魂」に語られたプッシュバント。
かつて尾藤さんはこの戦法についてこう語っていました。

  甲子園に行く前に県営紀三井寺球場で
  連係プレーの練習をしたとき、
  控えの選手がたまたまプッシュバントを
  野手の間にしたら、レギュラーの選手たちが戸惑った。
  これを徹底してやったら面白いな、
  と思ったのがきっかけだった。

この効果について当時、箕島高校野球部長だった
田井伸幸さんはこう語っています。

  79年の選抜の決勝で、浪商のエース牛島和彦が
  つんのめってバント処理していたのを思い出す。

その浪商戦ですが、尾藤さんはドカベンこと香川選手に
こんな思い出を持っていたようです。

  彼はよく箕島のベンチを見ていた。
  私は「フォークはあかん。まっすぐで勝負せえ」と
  身ぶりで彼に伝えた。香川はうなずいてストレートを
  放らせた。

昨日の「尾藤魂」にも書かれていたように、
尾藤さんは香川選手のキャラを気に入ってみたいですね。

さて、ドクターからいろいろとアドバイスを受けていた東投手は、
こんな思い出も語っています。

  人間の体について、1週間に1度くらい、
  こんこんと聞かされていたんです。
  人間の目はどうなっているかとか、
  人間の脳はどういう感覚を持っているとか…
  こういう肩の形をしていると変化球に強いとか、
  医学的なことを技術に結びつけた話も、ずいぶん聞きました。
  これは、正しいかどうかわかりませんが、
  そうした話を聞いていたので、打者を冷静に観察するように
  なったんです。
  高校野球の場合、相手のデータが少ないので、
  ずいぶん役に立ったような気がします。

そして甲子園のマウンドでも打者を観察し、
苦手と判断したところを突いたり、
打ち気がないと見たら、真ん中に投げることもしていたといいます。

いよいよ、あの79年を迎えた「尾藤魂」。
最大のドラマの幕が開きますね。  


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2011年06月13日

今週も尾藤魂

尾藤元監督にアドバイスを求めたら
「自分で考えろ」の一言。
そこで楠本医師に頼ったという石井投手は
当時のことをこんな風に語っています。

  お医者さんが、
  「人間の体っていうのはこうなっている」
  だから「早い球を投げるにはこう」
  「コントロールをつけるにはこう」。
  あの時はそういう医学的なアドバイスを
  毎日のように頂いていました。 

  僕の血液まで取って全部調べながらーー。
  その上で勝つために何をしたらよいか、
  お医者さんが医学的なところから
  アドバイスしてくれた。
  人間の目ってどうなっているかとか、
  人間の体ってどうなっているかとか。
  このバッターは体型的にはここが打てないとか。

  食事メニューに関しては、姉が栄養士を
  していたので全部組んでくれてーー。
  当時そこまでやっているとこというのは少なかった
  と思いますね。

そこから生まれたのが、先週の「尾藤魂」に記された
楠本医師のメニューだったのですね。

「ピッチャーのことは何にもわからない」
「監督が頼りないから皆、自分たちでいろいろなことをやってますよ」
が口癖だったという尾藤さん。
選手の自主性に任せたところから、成長も生まれたと
いえるでしょう。

それでも、やっぱり高校生。
準々決勝以降の18試合で14勝4敗、勝率.778と驚異的な数字を
残した尾藤・箕島にも、甲子園連覇はたやすくできるものでは
なかったわけです。
夏に向けての箕島の戦いはどんなドラマを生んだのでしょう。
今週も「尾藤魂」が楽しみですね。  


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2011年06月10日

優勝投手の回想

本日の朝日新聞「尾藤魂」に語られた
1977年選抜優勝の秘話。
東投手の壮絶ともいえる戦いぶりは
胸に迫るものがあります。

また、このときを振り返って東投手は、
尾藤さんの意外な一面も語っています。

  尾藤さんが僕に「今日から俺の部屋で寝ろ」と、
  「お前も相当緊張しているから、俺の部屋でゆったり休め」と、
  そして大会が終わるまで、すごく大事にして頂いた。
  あのとき優勝させてもらったのも嬉しかったですが、
  ここまで尾藤さんと接することができる選手であって
  ホントに良かったと思いました。

そして、次のエースとなる石井投手の投球スタイルに
ついてのエピソード。
尾藤さんからのアドバイスだったとはーー。

  “上より横の方がええんちゃうか”
  というアドバイスがきっかけ。
  どこの世界でもそうやと思うけど、
  誰かがヒントをくれた時に、
  それをやれるかどうかーー。

  最初は横に変えた時は良かった。
  自分の感覚として、良かったから変えたけれども
  だんだんやっていくうちに、奥深くなっていくと、
  やっぱり壁に当たることがある。
  最初、上辺だけを見ていると
  いろんなことが良く見えるけど、
  やっぱり僕にも壁が見えてきた。
  そんな時アドバイスしてくれた人が、
  僕の場合はお医者さんだった。

と後にインタビューで答えている石井投手。
そて、明日はチームドクターのどんなアドバイスが
語られるのでしょうか?  


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2011年06月09日

信頼の絆

二度目の選抜優勝を果たした1977年。
このときのことを東投手は次のように回想しています。

  秋の近畿大会でベスト4に入って
  甲子園へ行かせてもらったのですが、
  一回戦がすごく強いチームに1:0で勝たせてもらったので、
  あとはのびのびとやらせてもらいました。

  僕は結果的に3点しか足られなかったのですが、
  守る選手がすごく強い打球でも捕って、
  アウトにしてくれるわけです。
  その選手たちとやっていると、
  もう負ける気がしなくなっていくんです。

優勝したときは顔はつやつや、目が輝き続けていたという尾藤さん。
監督復帰から3年、紆余曲折を経て感無量だったのではないでしょうか。  


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2011年06月08日

スマイルの裏に

有名な「尾藤スマイル」の誕生のころ。

エラーをしてベンチに帰ってきた選手を
「前へ出た結果のエラーだから仕方がない」と迎え、
三振した選手には
「思い切り振った結果だからいいじゃないか」と励ました。
と伝えられる尾藤元監督ではありますが、
昨日の東投手の回想によれば、こんな一面もあったとかーー。

  ゲーム中はにこにこしているんですが、
  これは終わってからかなり厳しい言葉が待ってるなとか、
  わかっていました。
  こらやられるなとかね。
  一般の人は尾藤スマイルと、
  ブームのようになっていましたが、
  やってる我々の方は
  終わった後のことが頭にこびりついてましたから、
  尾藤スマイルどころか恐ろしい顔しか
  イメージに残っていませんからー。

選手とTVの前の視聴者ではかように印象が違う「尾藤スマイル」
とはいえ、このスマイルが選手にもたらした効果は大きかったのでしょう。
東投手は、試合を振り返ってこんなことも語っています。

  箕島高校の野球というのは、
  スーパースターもいない時期が長かったが、ねばり強い野球というか、
  一点差で勝つゲームが伝統になるほど
  せったゲームに強いチームなんですよね。
  一点差で勝つ野球というのは、監督と選手との
  言葉には出せないけれども、目を見たときに通じるものが
  なかったらできない。
  ピンチの時でも選手たちは無意識に監督を頼るわけです。
  そのときに尾藤さんがベンチで腕を組んで無言のままで
  いいからいいからと首を振るだけで、
  それだけで安心感が沸くわけです。
  日頃の練習ではホントに厳しいものが続くわけですが、
  尾藤さんの言葉にしても表情にしても、
  俺に任せたら大丈夫なんやからというーー
  それが今では思い出ですね。

そして「尾藤スマイル」はそらなる伝説を生んでいくのですね。  


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2011年06月07日

東投手の回想

 今日の東裕司投手のエピソードですが、
このときのことを後にこんな風に語っています。

  1年の秋に近畿大会の天理(奈良)戦に先発して、
  一回ももたずに降板し、試合にも負けた。
  監督の表情が頭から離れず「甲子園が遠のいた」と
  思うと夜もよく眠れなかった。
  それで自分で言い出して往復20キロのランニングを
  始めた。
  「いらんことを言ってしまったな」と精いっぱい悩んだ。
  おかげで気持ちも強くなって1年間続けられた。

東投手の回想では、尾藤さんとの出会いは中学生のとき。

  小さい時分から硬式野球をやっていたんですけど、
  中学でシニアリーグをやっているときに、
  尾藤さんが後援会長とか沢山の人と一緒に家まで来てくれて、
  是非、俺と三年間甲子園に向けて一緒にやらないかと
  お話をいただいた。
  そのときは5分〜10分ほどの時間だでしたが、
  この監督さんて、すごく引きつけるものがある。
  この人とやったらやっていけるかなという感じでした。

その東投手はバントの名手といわれてそうですが、甲子園では
「腕がしんどくて、サインが出る前にバントしていた」という
話を後に披露しています。

いかに若いとはいえ、勤労と学校と野球というハードは生活。
粘り強い箕島野球は、こうした一人一人の努力の積み重ねから
生まれたものなのでしょう。

  僕らの当時は甲子園から遠ざかっていて、
  僕が一年生に入った頃は45人くらい。
  それでも3チームはできますようね。

という、東投手の時代。ここから箕島黄金時代が始まりますね。  


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2011年06月06日

科学は素直な心から

 土曜日の「チームドクター誕生」を読んで
尾藤さんって、なんと素直な人なんだと思いましたね。

それが本来の性格なのか、社会人勤めを経て身に付いた
ものなのかはわかりませんが、私たちの小さなときは
学校の体育でも、ランニング中は水を飲むなという教え
でしたから、いかにお医者さんのいうこととはいえ、
当時の常識からすれば、????という教えですからーー。

楠本先生は後に「医者が診断する高校野球」という本の中で

 相手は肉体的にも精神的にも完成されていない、
 未熟な子ども達である。
 指導法を一歩誤ると人間として取り返しのつかないことになる。

と、警告を発しています。また、高校野球の役割についても

 選手が社会に出てから精神面でも体力面でも一人前の大人として
 仕事をしていくための場でなければならない

とも記しています。
この辺り、先日の「野球だけが人生じゃない」という尾藤さんの
一言とも通じるものがあり、優れた指導者たるものは柔軟な心の
持ち主なのだといまさらながらに感心する次第です。  


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2011年06月02日

野球だけが人生じゃない

尾藤さんがモーレツ社員で、
ボーリング場の支配人まで務めていた
という本日の記事には「えーっ」という
驚きを覚えました。

野球一筋で、他のことなんかーーー
というイメージを勝手に作り上げていたからです。

ところがーー

「野球だけが人生じゃないよ。
 野球がすべてじゃないんだ。」

これは1970年の選抜初優勝時のエース
島本講平さんに尾藤さんが語った言葉。

端正なマスクで女性たちから絶大な人気があり
高校時代はエースで四番。
ドラフト一位で南海に入団したが、その後は
2軍暮らしが続いたという島本さん。

その島本さんが、尾藤さんからのその言葉を
わすれられないと語っていたそうです。

厳しい練習に耐えて、ガンバリ抜いたエネルギーを
他のことに向けることが出来たら、
それも立派な生きた方だ!
というような意味だったんでしょうか?

モーレツやり手社員として
社会人としても才覚を発揮したという
尾藤さんの素養はすでに培われていたのですね。

そういえばーー

 「普段は、厳しい練習をしてきました。
  瞬間的に判断する能力や勘を養うための訓練、
  いわば人間力を鍛えるためです。」

後にそんなことも語っていた尾藤さん。
野球を技術だけでなく、広い視野を持って捉えて
いたともいえるのではないでしょうか。  


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2011年06月01日

映画「尾藤魂」の配役は?

これまでの評伝の中では
指導法を巡ってOB会と対立し、
選手に信任投票をしたところ
選手全員が支えてくれると思っていたら
一票有った不信任にショックを受け辞任。
ボーリング場勤務で接客を学び
監督復帰後は選手たちへの指導法も変わったと
サラリと記されていたこのくだり。

実はとってもドラマチックな展開だった
というのが本日のハイライトですね。

 甲子園初出場でベスト8に到達し、
 わずか2年後には優勝の栄冠をもたらす。
 しかし、翌年からの不調の中、
 町にはバッシングを声が上がり、
 選手たちに信任投票をさせて切り抜けようとするが
 投票用紙を繰る内に○が続く用紙のなかに
 1枚だけ×が現れる。
 その×をじっと見つめる尾藤監督。
 そして優勝させた母校の監督の座を追われ、
 第二の人生を歩むべく勤務したポーリング場に
 ある日、ひとりの選手が現れ、素振りを見てくれという。

まるで映画のような展開、思わず涙するシーンの連続。
だれか映画化しませんかね。
もし、そんなことになったら尾藤監督役はだれか?
うーん、そんな楽しいひとときをもたらせてくれる
「尾藤魂ー熱闘遍ー」明日が待ち遠しい。

因みに、私は今、尾藤監督役に「上地雄輔」を
当てはめてみましたが、いかがでしょう。  


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2011年05月31日

信任投票の謎

尾藤さんが監督を退くきっかけになった
後援会との関係悪化とは、いったい何だったのか?
そんなことが気になって調べてみるとーー

夏の県大会に敗退した後、後援会が監督交代に動いたとか、
甲子園での初戦敗退が続き、漁師町だった箕島の人々から、
クビにせよという声が出たとか、
いろいろな噂がありました。

尾藤さんは当時のことをこう振り返っています。

 1966年、23歳で母校の硬式野球部の監督になった。
 甲子園に行くには名門の2~3倍は
 練習しなければ追いつかないと、
 厳しく激しく練習して行き過ぎたこともあったと思うが、
 ある意味で生徒に恋し、恋愛をしていたようにも思える。
 子どもたちが何を考えているのか知りたかったし、
 自分の気持ち、何を考えているかも知って欲しい、
 という気持ちでいっぱいだった。

熱血漢の尾藤さんらしい回想ですが、
練習は相当スパルタだったのでしょうね。

さて、信任投票の中で、ただ一票の不信任。
この話には後日談がありますが、それは連載で登場するかもーー。
なので、次回に。  


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2011年05月30日

箕島快進撃の光と影

 順風満帆にスタートした尾藤箕島の第一期。
当時、尾藤さんは選手たちにこういい続けたといいます。

「目の前でゴロは捕れ、
 バントもバッティングも打ちに行ってはいけない、
 目の前でボールを捉えろ」

初優勝時のエース、島本講平さんは
「ミートポイントは体に近いほうが有利じゃないですか。
 それを『目の前で捉えろ』と
 表現しているんじゃないですか」と後に語っています。
また、島本さんによれば、
「尾藤さんのすごいのは、決勝戦で負けていないところ」だとも。

記録によれば、甲子園での決勝戦は4回戦って負けていない。
準々決勝以降の18試合も、14勝4敗と極めて高い勝率を残しています。

そんな尾藤さんの監督時代の第一の転機ともいえる信任投票。
あまり語られなかった事件ですから興味深いですね。  


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2011年05月26日

長男誕生

 今朝の熱闘編は、尾藤さんのみたことのない笑顔が
印象的です。なんといっても、長男とのツーショット。
我が子を抱いて目を細めるという、もうひとつの尾藤
スマイルといってもいいかも。

 のちに投手として活躍する尾藤強さんですが、こんな
エピソードをみつけました。

1986年夏、強投手が2年生の和歌山大会決勝戦

 「1回表、桐蔭に1点を先制されたんですが、
 5回裏にウチが2点を入れて逆転し、選手たちが守備につく際、
 私は大声で叫んだんです。
 『強、一人でもランナーを出したら代えるぞ!』

それまでグランドでは「尾藤」と呼び、「強」とは読んだことが
なかったという尾藤元監督。
その後、強投手はランナーを出し、言葉通り監督は投手交代を
余儀なくされ、箕島は桐蔭に敗退することに。
このとき、甲子園は決まったも同然という気持ちが「監督」から
「親父」にさせてしまった。と後に語っていたそうです。

厳しかったことで知られる尾藤さんの意外な一面といえるかもしれませんね。  


Posted by 一球入魂 at 14:24Comments(0)